これは「自分のXのタイムラインを眺めていて思った」程度の雑感をもとにした話なのですが、最近「女性天皇は皇室典範で禁じられているからダメに決まっているだろう!」といった、ちょっと低レベルとも呼べない次元の男系固執ポストを以前より頻繁に見かけるようになった気がします。
もちろん「そもそもその皇室典範を改正しよう」という話をしているのですし、典範を絶対不変としたら、9条によって旧宮家系男系男子の養子だって改正なしには不可能なのだから、従来であればそんな雑な発言をする者はほとんど見かけませんでした(だからこそ、神武天皇のY染色体なんて珍説まで用いて〝理屈っぽく〟固執していたのですから)。
この感触が当たっているとすれば、その理由は何か?
とりあえず「参政党フィーバーなどにより〝にわかネトウヨ〟が増えたのでは?」という仮説が浮かびました。
平素から男系男子固執してきたようなベテランのネトウヨは、産経新聞、WiLL、Hanada、正論などの購読といった「勉強」を重ねた真面目な(笑)人物も多いと思われ、そうした界隈由来の理屈が大量に展開されてきました。
一方、最近の「躍進」によってネトウヨデビューしたような層は、前提知識が(そもそも本当は皇室への関心も)ない、質や種類はどうあれ「色々な書籍などにあたってみよう」といったマメさもない。ひたすら「コスパ良くマウンティングしたい」といった怠惰な欲求を満たしてくれるネタを求めているように見えます。
そこにおいて「現在の法律と異なる主張をしている者」なんて、「シカさんをいじめている悪い外国人」と同じ位に(笑)叩きやすい対象と映るのでしょう。
ここでちょっと、ネトウヨ的人物像に多く共通していると感じる「私の偏見」(どんと来い!)を一つ挙げると、「内容にかかわらず、校則などの決まりをキッチリ守る」タイプが多いような気がしています。
ルール無視のアウトローになれるような凶暴性は無く、
理不尽なルールは変えようとするバイタリティも無く、
「上手いことやる」ような器用な小ズルさも無い。
その上で「自分は我慢して決まりを守っているのに、それを破る人間は許せない!」という心情をルサンチマン化させてしまう。
もちろん「社会・集団ではルールを守る必要がある」のは当然ではあっても、同時に「理不尽だったり、現状にそぐわないルールを疑う」事ができないと、単なる「因習の実行者」になってしまいます。
「ルール感覚」は当然「ルール原理主義」ではなく、ルールを見つめて本質(伝統や精神性)との乖離が無いかを判断できる力。ネトウヨ・エセ保守は低級なルール原理主義です。
「不遇」というものを考えた時、もちろん本人の責任ではないたまたまの運によるものもあれば、自身の中のルールさえ見つめて変えていくという行為を怠ったがため、という場合も存在します。
「保守」という言葉は、後者のような怠惰な精神性を甘やかしてくれるための道具としてますます濫用されるようになっている。
その甘いお菓子をくれる人は、あなたの人生に責任を持ってくれるわけでもなく、単に選挙の票やコンテンツの「いいね」やビュー数が欲しいだけなんだけどね。
それは「自分を一番自由にしてくれる束縛」とは真逆で、自分を奴隷の鎖につなぐ行いに他ならないんだけどなあ。





















